最近掲載したものは…
2024年2月の4人組(3人組) /山・3人組(2/14)
今月も3人組で7日に猩々池、13日に金鳥山を歩いてきました
2024.1の4人組(3人組) /山・3人組(1/30)
今月は3人組で15日に中山、29日に六甲アイランドを歩いてきました
Sally's HighTention を考える /今日のSally(1/29)
Sally's HighTention の今後を考えてみました
七兵衛山(六甲) /山・3人組(12/6)
山頂展望所の製作者と会うことができました
箕面 /山・3人組(11/21)
まだ感動するような紅葉には会えなかったです
八十八ヶ所巡り?(甲山) /山・3人組(11/9)
ショートカットが当たり前になってきた今日この頃・・・
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by Sally
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明けまして おめでとうございます
昨年は 新居での生活に胸膨らませていましたが
度重なる 怪我 に悩まされる中 食道がん 再発で2度の入院など
大殺界 といわれてきた年だっただけに 散々な1年 でした
そして あれほど大好きだった お酒を断った ことで
周囲の飲み友達には 不義理 をすることも多々ありましたが
私の人生の中でもとりわけ 大きな決断 だっただけに
何より私が一番つらい思いをしていることを察していただき
ご無礼のほど ご容赦いただければ幸いです
それでも この歳にして
アウトドア では
活動は縮小したものの 山歩き に シニアサッカー
インドア では
55年前のコンサートサークル の立ち上げや
中学同窓生バンド 初ライブ に向けての練習など
未だに 音楽活動 を継続できていることは
何より 家族の理解・協力 があってのことで
心より 感謝 感謝 感謝 です
2024年 が みなさまにとって
幸多き1年 となりますよう 祈念し
そして
私が無事に 大殺界 から 脱出 できますように
by Sally
]]>「ここまで歩いてきたことを思うと、210円(のバス代)は安いね。」 とTさん。
確かに、ここまで45分ほど汗をかいて歩いてきたことを思えば、この年齢になると210円は値打ちがある。
平坦な住吉道をのんびりと歩いて五助の分岐までやってくる(10:03)と、ここで歩き支度を整えた。
五助ダムを越えて木道を渡り、住吉川左岸へ渡る。
趣のある石畳の山道を歩いていると、遠くで聞こえていたチェーンソーの音がどんどんと近づいてきた。
やがて作業員の一人が、伐採作業中だということで作業を中断させて我々を先導してくれた。
作業は我々が歩く黒五谷のルート上で行われていた。
伐採された木々の間を抜けて作業場所を抜けると、また3人で先へと進んだ。
小さな峠を過ぎてゴルフ場への分岐を通過(10:40)。
いつもはうっそうとした打越峠の手前は、周囲の木々が伐採されていて、明るく見通しのいい山道になっていた。
やがて打越峠にやってくる(10:52)と男性が1人休んでいたので、3人はそのまま七兵衛山山頂へと続く山道に入った。
最後の急坂を登り詰めて、無人の七兵衛山山頂に到着(11:00)。荷を下ろして一息つくと、ゆっくりと鍋の準備を始めた。
眺望はうっすらと靄に包まれていて、周囲の山にも薄い靄がかすんでいた。風もほとんどなくて寒さに悩まされず、熱々のおでんが美味しかった。
数人のハイカーがやってきては下山していったが、最後にやってきた高齢の男性は空き缶が入ったゴミ袋を手に、
「ここは私が作ったんよ。12年もかかってね。」 と。
いつも手入れが行き届いている所だと思っていたら、なんとその製作者に対面することができた。88歳だという男性。私がここに初めて来た12年前にはすでに出来上がっていたから、少なくとも24〜5年以前のことだとして、この男性は50代のころからここを整備していたことになる。
「ありがとうございます。大切に使わせて頂きます。」 と謝辞を送った。
食べつくしたところで下山開始(13:36)。いつもの東方面から下り、木漏れ日広場を通過(13:50)。
森林管理道へと降りてくると、左に数分進み、
右手のハブ谷へと下って山の神へとやってきた(14:22)。
30人ほどの団体が休んでいたので、ここをスルー。
八幡谷を下って登山口までやってくると、車道を下って八幡神社の境内で小休止(14:48)。ここでストックを片付けると、後はぶらぶらと岡本駅まで帰ってきた。
最後は西宮北口の餃子店で〆の乾杯を、といっても私はノンアルで、ね。
七兵衛山山頂の整備は、多分あの男性以外にも何人かの手で作り上げたんでしょうね。
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線路沿いを戻るように歩き、今回は仁川右岸を遡上し、途中から一つ南側の道路に入って、いつもの関学沿いの道から甲山森林公園へと向かった。
公園の東入口で5分ほどの小休止。
少し先を左折して「みくるま池」を通過し、南入口から車道へと出てきた(10:18)。ここを右折し、車道(甲山大師道)沿いを歩く。
左カーブ手前の左側側道にある第一番目の石仏へとやってきた(10:25)。第二番以降は車道右側の側道に石仏が並んで置かれているが、何度も巡ってきた3人は途中を大割愛することにし、最後の第八十八番を目指すことにした。
遠足なのか、先生に引率された小学生の団体が登っていった神呪寺(かんのうじ)の石段を登って本堂へとやってきた。
ここで第八十八番の石仏を確認し、小休止(10:36)。後はのんびりと階段を下って来た道を戻り、
西入口から甲山森林公園に入る(10:55)と、適当な場所を探しながら園内を歩いた。
結局、いつものレストハウスしか空いている場所がなく、ここのベンチテーブルで荷を降ろした(11:07)。
私がノンアルになってからはミニ宴会の時間が短くなってしまったが、今回は話が弾んだからか久しぶりに長い時間居座っていた。片付けが終わって出発(14:25)。
いつもの道を戻って仁川駅に到着(15:05)。後はお決まりの餃子店に直行した。
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1年ぶりとなる石切山(284m)。いつもは4人組で登っている山だが、今回はNGさんが体調不良で欠席。阪急岡本駅〜最明寺〜万願寺滝〜長尾台ふれあい公園〜石切山〜北雲雀きずきの森〜川西能勢口駅といういつもの楽チンコースを3人組で歩いてきた。
2023.10.26(木)。岡本駅で3人が合流すると出発(9:36)。最明寺滝を目指して北へと進む。秋晴れの中を快適に歩き、最明寺川を遡上して石積みの山門を潜り、「辰巳橋」に到着(9:54)。
入念に歩き支度を整えると、万願寺に向けて出発(10:00)。緩い登りから堰堤越えの階段を登ると、後は平坦な山道がしばらく続く。
車道歩きが始まると5分ほどで左折し、万願寺の石段を登って本堂へ(10:27)。
いつもならここは休憩ポイントだが、そのまま本堂前を右に折れて山道に入る。坂田金時の墓を通過し、四国八十八ヶ所巡拝路の山道をつづら折れて登り、四十七番の石仏の先を抜けると、車道に出てきた(10:35)。
そのまま車道を歩いて「長尾台ふれあい公園」でようやく小休止(10:40)。
休憩を終えて出発。すぐ先のネットフェンス沿いの細い登山口から石切山へと入る(10:50)。山頂を通過した先の展望所で小休止(11:04)。快晴だが大阪方面の眺望が少し霞んで見える。
ここから悪路の急坂下りが始まる(11:08)。慎重に足を運び、10分ほどで緩い山腹道に変わる。
やがて平坦となって、分岐を左に進んでフェンスを通り抜けると「北雲雀きずきの森」の草原に到着(11:30)。
木陰のベンチテーブルには先客がいたので別のベンチに荷を下ろした。
汗が引いたところで乾杯。私にとってはノンアル宴会の始まりだ。平日だというのに、結構人がやってきて、いくつかあったベンチテーブルは、満席となっていた。
やがて入れ替わりでやってきた30人近い高齢者の団体が、周囲を埋め尽くした。ボランティアガイドという男性の話では、枚方の市民大学の授業の一環で案内を頼まれたとか。帰り際には「騒々しくて申し訳ない」と謝って下山していった。
食べ尽くしたところで、片付け開始。閑散とした広場を後にした(13:30)。
前日に70代サッカーの試合があった花屋敷グランド横を通過。住宅街の中を縫うようにして下り、県道12号(産業道路)を右へ。川西能勢口駅高架下までやってくる(14:05)と、いつもの居酒屋へと向かった。
帰りの電車内でなぜかリュックの底が濡れてきた。確認してみると保冷材にしていたスポーツドリンクに小さな穴が開いていた。帰ってからもちょっと大変でした。 (~_~;)
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昨年の転居後、サッカーやジョギングでの怪我に2度に及ぶ外科手術、と大殺界中(?)の1年がそろそろ終わろうとする秋。サッカーの試合の2日前で体調も良くなってきたこともあり、また近所の山に登りたくなった。家族に反対されるかと思っていた雨森山(383.7m)に、反対されることもなく登ってきた。
2023.10.23(月)。もう山頂での飲酒もなくなったのでリュックもなく、登山靴にストックのいで立ちで、水だけを持って家を出た(8:35)。
日生中央駅を通過(8:45)し、北摂里山街道を北西に進むと、
左カーブ手前を右手の『彫刻の道』に入る(8:50)。
アリスゴルフ倶楽部入口前を通過すると内馬場集落の里山の風景が広がる。
『彫刻の道』の分岐は左へ進む(9:00)。さらに里山歩きが続く。
道が右に大きくカーブし、さらに数分歩くと『雨森山』への登山口にやってきた(9:18)。
ひと息入れて、右の雨森山へと進んだ(9:22)。緩い傾斜が長く続く。息が上がらないようゆっくりと足を運んだ。夏とは違ってバテる心配もなく高度が上がっていく。
やがて十字路にやってきた(9:52)。
山道が3方向に延びているが山頂を差す道標があるので迷うことはない。
やがてV字の山道になると勾配がきつくなってくる。バテないようにゆっくりと足を運ぶ。勾配が緩くなると山頂らしきところを通過。一旦下り、登り返して勾配が緩くなると
山頂に到着(10:08)。登山口からは前回より3分多い46分かかった。
もうお酒を飲むこともないのでベンチテーブルに座ることもなく、多田から石切山方面の眺望を楽しんだ。
景色を堪能したところで、西側の山道を『知明湖側登山口』を目指して下り始めた(10:18)。ネットフェンスのある山道を通過すると勾配が少しキツくなる。細かな砂利も多く、何度も滑りそうになりながら慎重に足を運んだ。
『炭やき窯跡』の道標を過ぎるころから、足に疲労感が溜まってくる。173号線の朱色の鉄橋が見え隠れするとすぐに車道が見えてきた。
そして雨森山登山口に下りてきた(10:53)。下山に35分、前回より5分オーバー。やはり体力は落ちてきているのかな。
知明湖に沿って車道を進むと、数分で国道173号(能勢街道)に合流。
右手には『新圓山(まるやま)トンネル』が見えている。ここは左の一庫ダム管理所方面へ進む。
越ノ山トンネルを抜けて深谷橋を渡った先で、右手の車道へと進む(11:08)。急坂な車道を登った先が丸山台3丁目の住宅街で、そこから駅までは約30分。私は道なりに住宅街を歩いて自宅に戻った(11:40)。
初めて登ったときは★★の感じでしたが、今回は★1つってとこかな。断酒生活も随分と慣れてきました。
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次の絶景スポット“角島大橋”。バスは一旦は角島まで渡ったが、すぐにUターンして絶景ポイントで撮影のために下車した(14:12)。
最後の観光地、“門司港レトロ”に向けて出発(14:50)。
関門橋を渡ると、門司港に到着(16:15)。
バナナのたたき売り発祥の地(?)にあるバナナマン像(?)前で下車した。ここでも1時間余りの散策時間がとられた。
(旧門司税関)
4人は、船中でのミニ宴会用の食材を調達するための散策に変わっていたが、スーパーが見当たらず、現地の人に場所を聞いてやっとスーパーにたどり着いた。バスに乗車すると、新門司港のターミナルへ向かった(17:25)。
そして新門司港で下車。バスの運転手に安全運転のお礼を言って別れた。添乗員Kさんの乗船手続きを待って、乗船(18:10)。
船名は“せっつ”から“やまと”に変わっていたが造りは全く同じで、船室も来た時と同じ場所だった。
荷物を置くと船内レストランへ。各自が注文した食事を窓際に並べて、「いただきます」。 食べ始めると船は静かに岸を離れていった(18:43)。
私は二次会を考慮し、少なめに皿うどんを頂きました。
食事を終えると私は船内のお風呂に入った。静かな船旅で、浴槽の湯も波立つことはなかった。露天風呂では、潮風が心地よく温まった体を冷ましてくれる。
船室に戻るとミニ宴会が始まった。私はこのツアーでも一緒に(お酒を)飲めないことを詫びて乾杯した。
船室の灯りが消された(22:10)ので、それぞれがベッドに入った。
(4日目:9月13日(水)に続く)
2023.9.11(月)、目が覚める(5:30)とすぐに洗面を済ませ、デッキへ出てみた。白んだ夜明け前の雨上がりの船首の先には下関らしき陸が見えていた。4人が揃うと缶コーヒーを買って、サンドイッチの朝食を済ませ、新門司港への入港を待った。
(左の赤い建物がフェリーターミナル)
定刻(7:00)に案内があり行列の流れに従って下船。東洋チックな阪九フェリー第1ターミナルを出ると、添乗員の指示で待っていたバスに乗車した。
バスが発車(7:20)すると添乗員Kさんの自己紹介があり、最初の行動予定案内があった。和布刈(めかり)神社で下車(7:40)。
(関門橋:対岸が下関)
(和布刈神社)
Kさんの説明が終わると、神社を抜けて門司側の関門トンネル人道入口へと進んだ。エレベーターで地下へと下りると、トンネルが下関側に延びていた。約800mあるらしい。
4人はすぐにトンネルに入った(7:53)。
(県境)
トンネルを出る(8:04)と、またエレベーターに乗って地上に出てきた。そこは、源氏と平家による壇ノ浦の戦いでの義経と知盛(とももり)の像や、長州藩の加農(カノン)砲のモニュメントがあった。
ここで記念撮影。(左の像:義経 右の像:知盛(とももり)
(長州砲)
ひと通り散策を終えるとバスで5分ほど移動し、唐戸市場の駐車場で下車。徒歩で少し戻り、赤間神宮を参拝(8:45)。この神社は、源平合戦において当時8歳で入水した安徳天皇が祀られている。
(外拝殿/この奥に本殿がある)
(平家一門の墓の手前にある“耳なし芳一”の像)
バスに戻ると土産物屋の蒲鉾(かまぼこ)店へと向かった。店員の話では蒲鉾の賞味期限が2日しかないので持ち帰りは出来ないが宅配なら可能とのこと。(大量販売を狙った商法か?) 結局、蒲鉾は数名のツアー客が購入したのみだった。
また唐戸市場の駐車場に戻ってくる(11:25)と、周囲を散策がてら昼食となった。
(お食事中)
(“フクの袋競り”のモニュメント)
観光客目当ての食事場所はどこもいい値がしていたので、財布の紐が固い4人組は近くの商店街を散策し、比較的安価な食堂で海鮮ちらしを昼食とした。
バスに戻ると防府市へと出発(12:15)。駐車場に着く(13:35)と、防府天満宮を参拝。
(菅原道真公を祀る防府天満宮)
(“夢叶う牛” お賽銭が要るようだ)
歴史館の見学を終えると、参勤交代の街道である“萩往還”を通って、“山頭火ふるさと館”を見学。残念ながら私は『山頭火(行乞流転の俳人)』の知識は皆無だった。
バスに戻ると、湯田温泉に向けて出発(14:55)。このツアーに参加した人たちは優秀なのか、いつも時間までに集合するので余裕を持ったスケジュールなのがいい。
宿泊地の宿、”西の雅 常盤”に到着(15:30)。添乗員Kさんのチェックインを待って、割り当てられた部屋にNGさんと入った。4人でも十分な部屋に2人ずつなのがゆったりとしていい。
温泉にゆっくり入っても時間は十分に余裕があった。この旅館は“女将劇場”が有名らしく、食事前に女将(御年78歳とか)があいさつに来て女将劇場のPRをしていた。舞台慣れしているのか声量は十分にあった。
(“ふくコース『宴』” )
食事は高齢となった我々には十分な量だった。3人はワインや日本酒を注文していたが、私はここでもノンアルビールを注文した。
食事が終わると4人は女将劇場に興味がなく、Tさん・HGさんの部屋でミニ宴会を始めた。当然ここでも私はノンアルだ。
10時を過ぎて部屋に戻ると洗面を終え、そのまま布団にもぐりこんだ(22:30)。
(3日目:9月12日(火)に続く)
4人組としては2度目となる船旅ツアーに参加した。ツアー名は、『往復阪九フェリーで行く山口の名湯 湯田温泉に泊まる 4日間』というもの。4日間とはいっても、往復のフェリーで2泊するため、現地では1泊2日の旅だ。
2023.9.10(日)、待ち合わせ場所のJR住吉駅で4人が揃うと、近くのスーパーで船中での夕食と朝食を調達。六甲ライナーに乗車し“アイランド北口駅”で下車。事前にもらっていた行程表のマップを見ると駅からフェリーターミナルまでは歩いても行けそうだったので、徒歩でターミナルへ(16:55)。
ところがターミナルになかなかたどり着けず、集合時間がどんどん迫ってくる。(帰りは絶対バスに乗ろう!) 小雨が降り始めたころ、やっとのことでターミナルに到着した(17:23)。受付で手続きを済ませると4階ロビーで乗船を待った。
(乗船した“せっつ”)
案内があって、乗船開始(17:30)。船室は6階の2段ベッド2室を向かい合わせで割り当てられていた(割安ツアーなので、狭い船室は我慢することに)。それぞれ荷物を置くと、船内をざっと見て回り、“展望ルーム”で出航を待った。ここは船首側にあるので、出港準備をしている船員たちの作業風景が眼下に見えていた。
定刻(18:30)になると、雨に打たれる船窓の風景がゆっくりと動き出した。いよいよ出航だ。6年前にも参加した宮崎へのツアーでは外洋(太平洋)が航路で、帰路では荒れた海に一晩中もまれて大変な思いを経験していただけに、瀬戸内海の船旅はほとんど揺れず、静かな船旅が始まった。ただ外は、雷光や稲妻が走る中、雨も強く降っていた。
(明石海峡大橋)
船室に戻ると、調達した弁当やアテを並べてまずは乾杯。とはいっても私はノンアルで雰囲気だけを味わうことに。
食べ尽くしたところで、歯磨きを終えて早めに就寝(10:30)。
(2日目:9月11日(月)に続く)