まだ小学生の低学年の頃、クリスマスというものがそれほどイベント化していなかったと思うが、親父がグリム童話の絵本をお土産に会社から帰宅した時のことが記憶に残っている。おそらく7〜8歳の頃だと思う。イソップ童話の本も貰ったが、どっちが先だったか記憶は曖昧だ。
で、小学校の高学年になった時には、宮沢賢治集という分厚い本を貰った。この本が私の人生にどれほどの影響を与えることになったのか、ということが分かったのは40代になってからのことだった。
セロ弾きのゴーシュ、注文の多い料理店、よだかの星、月夜のでんしんばしら、銀河鉄道の夜、風の又三郎、雨ニモマケズなどなど、内容は忘れてしまったものも多いが、タイトルは不思議に記憶に残っているものだ。この本を、私は何度も何度も読み返した。飽きることがなかった。雨ニモマケズは暗記してしまった。
中学生になった時のこと。まだ人格形成ができていない幼少の頃から親父の友人が家に来た時に何度も聞かされていた戦争時代の話がずっと気になっていて、学校の図書室で太平洋戦争を中心に、いったい日本はどんな戦争をしていたのか、という興味から、その類の本をあさり読みしていた。
高校になってからは、サッカーに明け暮れていたため、少し本から遠ざかっていたが、小さなノートにエッセイ(意のままに書き記した散文)を書き始めていた。
大学生になったら、パチンコにハマッた時期があって、勝った時は文庫本を購入し、通学(2時間〜2時間半)途中の時間を読書に費やした。この頃も戦争中心の、野火、俘虜記、ビルマの竪琴等々戦争系から、いわゆる文学小説やエッセイ集など、かなりの本を読み耽っていた。
社会人となって仕事で文章を書く機会が増えてくると、最初は先輩からの教えで「今まで通り」で書くことが無難だと思っていたが、難しい表現よりは、誰が読んでも分かりやすい文章に、と思い始めて自分の言葉で文章を書くようになっていった。
ある厳しい上司から私の文章にクレームを付けられた時、「文章表現に違いがあっても言いたい主旨に違いがないのなら文章は変えません」とキッパリ拒否したことがあった。怖い上司だったので、どう私にカミナリを落とすのかと身構えていたら、私の顔を覗き込んで、ニッと笑うと、黙って決裁印を押してくれた。
それから数年後、音楽仲間のぴーまんさんが私のためにホームページを作ってくれたのが、このハイテンの始まりだった。今はブログだが、当時はいわゆるホームページで、主に私の過去の記憶を綴ることが多かった。
こうして、自分なりの文章をたくさん書き続けている時、あの宮沢賢治に始まる読書が今の私の文章力(って、それほどのもんじゃないんですが…)の基礎になっているのだなと、納得するようになっていた。
文章は、自分が伝えたいことを伝えるための一つのツールだ。手話も同じ。語り合う言葉も同じ。今、定年の身となっても、いろいろな文章を書く機会があるので、文章が書けることの喜びを感じています。当然、このハイテンも。
たくさんあった書籍は、結婚を機に処分をしてしまったことがかなり悔やまれるが、当時は本が財産だと気がつかなかったのだ。で、昨日。少々酔っていたこともあって、帰宅途中に久しぶりに本屋に入った。文庫本を購入するのも何年かぶりのことだった。
購入した本は、当然、宮沢賢治の作品で、「風の又三郎」と「注文の多い料理店」に詩集の3冊。当分、通勤電車で読み続けることになるのでしょう。
若い人は、時間を惜しまず読書の習慣を身につけてくださいね。